Interview

この仕事だったら
頑張ろうと思える。
親父と同じ“うなぎ”で
生きていこう、と。

兼光淡水魚株式会社

土井 蓮児

“土井のうなぎ”の未来を担う人。

僕が受験を失敗してこの先どうしようかという時、父が勧めてきたのはうなぎの修業でした。大学生になるはずが心の準備ができず、最初は気が進みませんでした。しばらく父のお店を手伝うにつれ、真剣にうなぎをさばいて、「美味しい!」と言われるお客様に嬉しそうに応じる父をみていたら、この仕事に誇りを感じはじめました。僕もやりたいと思うようになったんです。

誠意ある父の仕事を見て育った

父は店を始めてからイキイキしています。毎日が楽しいそうです。うなぎから離れていた頃はお酒を飲んでいるところしか見たことがなくて、「うなぎの仕事をもう一回やりたい」とぼやいているのを聞いていましたから。
そのくらい父はずっとうなぎをやっていた印象なんです。小学生の時、土用の丑の時期に手伝いに来いと言われ、3時に起きて父と中央市場に出かけた覚えがあります。繁忙期は家に帰らず職場で寝るような、仕事に対して誠意のある父です。ずっと頭を働かせていて、どれだけ効率よくできるかなど、いつも考えていたので、職人としてはすごいなって見ていました。家に帰ってきたらお酒を飲んでいましたけど(笑)。これは変わらないのですが、父は基本的に恥ずかしがり屋です。母親や僕らのことを思ってくれている気持ちはあってもうまく表現できないようなところがあるんです。でもちゃんと面倒は見てくれていました。
今、父に言いたいことは「体に気を遣ってくれ」ということですね。仕事について僕が言えることは何もないので。

うなぎの道で生きていこう

現在、僕は愛知でアパートを借りて、こちらで加工場の手伝いや、開きを練習させていただいています。父を見ていたらサーっと開くので案外簡単なんだなと思っていたんですが、実際にやってみたら難しい、難しい!
今後は京都の店を継ぎたい思いもありますが、将来的には自分で店を持ちたい。親父と勝負するのもいいかなって。現在は「土井のうなぎ」を継いでいるのは父だけなので、弟もうなぎを覚えて3人で広めていくのもおもしろいなあと思ったりしています。「京都のうなぎといえば土井」と言われるくらいにしたいです。

Interview

この仕事だったら頑張ろうと思える。
親父と同じ“うなぎ”で生きていこう、と。

兼光淡水魚株式会社

土井 蓮児

“土井のうなぎ”の未来を担う人。

僕が受験を失敗してこの先どうしようかという時、父が勧めてきたのはうなぎの修業でした。大学生になるはずが心の準備ができず、最初は気が進みませんでした。しばらく父のお店を手伝うにつれ、真剣にうなぎをさばいて、「美味しい!」と言われるお客様に嬉しそうに応じる父をみていたら、この仕事に誇りを感じはじめました。僕もやりたいと思うようになったんです。

誠意ある父の仕事を見て育った

父は店を始めてからイキイキしています。毎日が楽しいそうです。うなぎから離れていた頃はお酒を飲んでいるところしか見たことがなくて、「うなぎの仕事をもう一回やりたい」とぼやいているのを聞いていましたから。
そのくらい父はずっとうなぎをやっていた印象なんです。小学生の時、土用の丑の時期に手伝いに来いと言われ、3時に起きて父と中央市場に出かけた覚えがあります。繁忙期は家に帰らず職場で寝るような、仕事に対して誠意のある父です。ずっと頭を働かせていて、どれだけ効率よくできるかなど、いつも考えていたので、職人としてはすごいなって見ていました。家に帰ってきたらお酒を飲んでいましたけど(笑)。これは変わらないのですが、父は基本的に恥ずかしがり屋です。母親や僕らのことを思ってくれている気持ちはあってもうまく表現できないようなところがあるんです。でもちゃんと面倒は見てくれていました。
今、父に言いたいことは「体に気を遣ってくれ」ということですね。仕事について僕が言えることは何もないので。

うなぎの道で生きていこう

現在、僕は愛知でアパートを借りて、こちらで加工場の手伝いや、開きを練習させていただいています。父を見ていたらサーっと開くので案外簡単なんだなと思っていたんですが、実際にやってみたら難しい、難しい!
今後は京都の店を継ぎたい思いもありますが、将来的には自分で店を持ちたい。親父と勝負するのもいいかなって。現在は「土井のうなぎ」を継いでいるのは父だけなので、弟もうなぎを覚えて3人で広めていくのもおもしろいなあと思ったりしています。「京都のうなぎといえば土井」と言われるくらいにしたいです。

DOI KATSUMAN

土井活鰻