うなぎなら、うちのが一番うまいわ!

TAKASHI DOI

株式会社 土井活鰻

代表取締役 土井 貴史

土井活鰻は創業百余年、
土井氏の曽祖母の代から伝統の味を受け継いでいる。
時代の変化に挫折し一度は会社を畳むも、友人の一言がきっかけで再燃。
2018年に「土井のうなぎ」を蘇らせ、日本をはじめ
世界からのお客様を笑顔にする土井氏は、喜びと誇りに満ちている。

Photos 大山雄大 Yudai Oyama
Styling, Hair&Make-up 足立詠美 Emi Adachi
Words 浅野晶 Akira Asano

祖父から受け継いだうなぎを遺したい

うなぎを捌くお姿に圧倒されました!

うなぎを捌くのは誰よりも速いですよ。高校を卒業してすぐ、祖父が経営していた中央卸売市場の卸会社に入社しました。もともと曽祖母が始めた「土井のうなぎ」を中心に、川魚を商店街やスーパーに卸していた会社です。その頃からうなぎの捌き方、開き、串打ち、焼き、追いダレのレシピを覚えましたね。

ある日祖父が倒れ、余命半年と宣告された。僕は、祖父から受け継いだものや、ずっと祖父についてきた職人さんたちを守りたい思いで後を継ぐことにしました。当時は僕を含めて7人ぐらいだった会社が一時は20人、年商3、4億円ぐらいまで大きくなりました。26歳で結婚し、27歳の時に祖父は他界しました。

おいしさは変わらない自信がある

おじいさまの影響が今でも大きいのですね。

炭で焼くうちのうなぎにはずっと自信がありました。営業に出る際、蒲焼を持って行って「まず食べてください。値段はいくらです。おいしかったら連絡ください」というスタイルは今も変わりません。自信があるから値段は一切妥協しませんね。変わらないといえば、今使用している焼き台は、当時取引先の小売店から店頭販売をやってくれと言われて、軽トラで運べるサイズを作ったものです。今でもあの台を使えているというのはちょっと嬉しいんですよね。

挫折、そして再起へ

飲食店にはどう転換されたのでしょう?

商店街が活気を失っていった上にうなぎが高騰し始め、ある土用丑には高島屋の蒲焼が一匹5,800円にまでなりました。季節による差が激しく、職人さんたちも70代になり、限界を感じて2014年に会社を閉めました。精神共に疲れきっていましたね。「おじいちゃんおばあちゃんの期待にこたえられへんかった、潰してしまった」と、自信をなくして完全に落ち込みました。はじめての挫折だったかもしれないです。

生計を立てるために2年ほど新聞販売店を経営していたのですが、ある時、毎月食事をしていた高校の同級生から「今度、うなぎを食べに行こう」とひょんな一言が。火が付きましたね!「うなぎなら、うちのが一番うまいわ!」どこにも負けないおいしいうなぎを食べさせたい思いがよみがえり、翌日には新聞販売店を閉める手続きをしました。

「土井のうなぎ」にもう一度戻れたことが自信に

2018年3月にオープンされましたね。

いつかはうなぎに戻るつもりでした。飲食店なら職人を抱えなくても僕一人でできますし、味には自信がありましたから難しくはありませんでした。うなぎは、通常200g前後のところ330~350gの特大を選定しています。大きいほど美味しさ、肉厚さに満足感が増します。そして炭焼きです。炭焼きができないのならうなぎはやっていないですね。うなぎ一本でやってきたからこそ、こだわります。

また、今までさんざん迷惑をかけてきた嫁といっしょにやりたかった、というのもあります。結婚した時、嫁の作ったお吸い物に、食道楽で料理も得意だった祖父が「お吸い物では勝てへんわ」と言ったのを覚えていましてね。祖父のお墨付きをもらっていた嫁には、おかみとして漬物とお出汁を任せました。

今、もう一度「土井のうなぎ」を世に出せた、唯一の自信だったうなぎにもう一度戻れたことが、さらなる自信になりました。母と電話で話したときは涙がとまらなくて。「やっと帰ってこられた」と嗚咽するぐらい嬉しかったです。

日本人のお客様でいっぱいにする

飲食店を始めた時に心がけたことは?

「土井さんでうなぎを食べようと思ったら、11時の開店までに行かな、食べられへんで」と言われるぐらいの店を作ろうと。店は伏見稲荷神社のすぐ近くなので、外国人観光客が多く訪れますが、卸と異なるのは、グルメサイトなど日本人への広告宣伝の方法でした。ある時食事に来られた方がたいそう喜んでいただき、お知り合いだという京都の情報誌の社長に連絡してくださったのです。「土井活鰻を紹介しなくてどうするんだ!」という勢いで。翌日、取材依頼があり、掲載していただけました。年中を通して満席になるほどお越しいただけていますね。

情熱ふたたび

味で勝負し、記事に取り上げられたと。

飲食店経営はシンプルでね、美味しくなければお客様は来られませんから、答えが出るのが早いですね。

うなぎは泥臭いと言われることがあります。泥のある環境で養殖されているわけではないので、これは泥の臭いではなくエサの臭いなのです。胃袋にエサが残ったままで調理をするから臭いが残ってしまうというわけなのです。うちでは、数日間いけすに生かしておくことでエサを消化しておいてから焼きますからより美味しい。このいけす、オープン当初はなかったのですが、訪ねてきた中央市場時代の同級生が水槽メーカーを紹介してくれたことで実現したのです。彼にも、土井のうなぎの再起に想いがあったのですね。おかげで新鮮で良い品質を保つことができています。

応援されている実感

品質への自信がご縁を呼んだのですね。

応援してくれている人のおかげでとんとん拍子に進みました。この空き物件を見つけた時、学習塾に決まりかけていると聞いたんです。でもここが気に入りすぎて諦めきれずマメに不動産屋さんに尋ねていたところ、学習塾は融資が下りなかったと。熱意が通じたのか入居できました。工事は、僕のいちばんの親友である京都建物の専務にお願いしました。

ユニフォームにしているTシャツは、15年ほど前の卸の時に、ITシステムをいっしょに手掛けた社員のデザイン。電話一本で繋がって今もお店を手伝ってくれています。彼女に看板をどうしようか相談すると、書家さんに書いてもらうのが社長のイメージに近いんじゃないかと提案をもらいました。すぐに嫁の知り合いの方が思い当たって、書いてもらえた。これをやりたいなと思ったらできる方が現れて、スムーズに話が進んでいきましたね。一時は途絶えていたご縁がまた繋がってきたんです。

「美味しい」の声、こんなに嬉しいことはない

嬉しいですね。

よく言っているのだけど、卸をやっていた頃は、間接的な喜びの言葉はなんぼでも聴けたんです。それが今、直接「美味しい」って言われることって、こんな嬉しいことはなくて。祖父をはじめご先祖を褒められているようで、涙が出そうになるほどほんまに嬉しいんです。身内の魚屋で残っているのはうちだけなのですが、親戚もみんな食べにきてくれます。父親のいとこが訪れた時には、「この味や!」と言って泣いて食べてくれました。嫁と「おじいちゃんおばあちゃんや先祖さんがずっと応援してくれているんやわ」とよく話すのですが、本当にそう思いますね。

満足してもらうためにできる限りのことを

新しくチャレンジしていることはありますか?

金糸たまごでしょうかね。おかみのお出汁で作るだし巻き卵ですが、家でうなぎのたれをかけて食べるとすごくおいしかったんです。アツアツで出せるしメニューにしよう!と。またうちは京都で唯一、追いだれをテーブルに置いています。たれは貴重ですからなかなかしないのですが、おいしい!と喜んでくれるのでね。

お客様に接しているおかみは、数あるお店の中から選んで来てくださった方にできる限り心地よく満足してもらいたいと、いつも笑っていてすごいなあと思います。言葉の通じない外国人の方も、おいしいもの食べるとみんな笑顔になるんです。顔がほころんで、ありがとうの気持ちを伝えてくれる。それぐらいのものをお出ししているんやと思うと、また嬉しくなりますね。

大切にされていることはどんなことですか?

「頭のアホはいっぱいおるけど、口のアホはおらん。旨いもんは誰が食べてもうまい、旨くない物は売るな。」という祖父の言葉は今も大切にしていますね。

祖父の世代の方が来られて「あそこでやってはった土井さんやね」と声をかけてくれることもあります。親戚一族が培ってきた「土井のうなぎ」です。プレッシャーはありませんが「俺が土井のうなぎを守ってるで!」というプライドはありますね。

土井貴史

どい たかし

1972年6月10日生まれ、京都府出身。高校を卒業後、京都市中央卸売市場の祖父の経営する川魚専門卸会社に入社、うなぎを中心に修業を重ねる。27歳の時に祖父が他界、一時は事業を伸ばすも、うなぎの高騰や市場の変化にやむなく閉店。2018年、友人の一言をきっかけに土井活鰻をオープン。曽祖母の代から続く「土井のうなぎ」にこだわり、行列ができるほどの繁盛店となる。

SUPPORTERS

土井活鰻を応援する人たち

株式会社Wood Home

清久隆幸

株式会社ワード

株式会社 名畑

兼光淡水魚株式会社

祇󠄀園 巴

株式会社T2

RHEA Le-mAnde

にじのうた保育園